私の苺のショートケーキ持論
これは、私が多くの企業を転職してきた40代に出逢った大切な方々へ共に過ごした時間が終わる時に、伝えてきた人生の持論です。
「いつか人生のずっと先に、こんな女性がいたことを思い出してね、、」と伝えてきた私からの人生の道標。
苺のショートケーキ持論です。
直接お伝えしてきた方々は、特別な方のみです。
公開するのは、初めて・・・
いろんな人生の王道を人並みに歩き、そこには幸せな時間、楽しい時間も沢山ありましたが20代の頃、
よく「私は幸せだなあ〜」と口にしていたのですが、母に言われた言葉があります。
「人生には、まさかの坂があるものなの。足を掬われないようにしなさい」。
それは、後々・・・・まさかの坂!?は次々に私の前に現れてジェットコースターのように上がったり、下がったり・・・・
苦難苦境を、よく乗り越えてきたと自負するほど沢山の試練がありました。
それでも、私はダルマさんのようにいつしか起き上がって歩き出すのです。
私の名前は将棋士だった父が 将棋の「歩」に因んでつけた名前です。
小さな駒であり、無ければならない「将棋の歩」。
私は、40代初めの頃 ある日、自分の直感力で医師でも見つけられないと言われた癌を偶然にも発見しました。
それは、小さな、小さな、ふにゃふにゃな動くものでした。
息子のママ友であったお姉様友達が、乳がんであったことで数年前にも見つけたことがありましたが、それは癌ではなかった。
「今では、もうその私が救われたキッカケであるお姉様友達も「あゆみちゃん、貴女は生きるのよ!」と囁きが聞こえます。
その病との戦いに泣き言も言わず、懸命な生き様と笑顔だけを残し旅立ってしまいました。」
だから、癌ではないと払拭するために検査に行きました。
医師からも、これは「癌ではないよ、念のための針生検でも感触が違うからね」。
でも、結果は「まさかの癌」。
私の人生において、まるで大きな岩がバーンと落ちてきた衝撃そして、私はこの先再発に怯えて生きるのか、、、と続く麻酔が切れた細胞検査にハンカチを噛み耐え涙が溢れたことは忘れません。
それから私は、夜いつものように息子の塾送迎をするため運転して、
ガン告知から病院不備もありクレームなど、走馬灯のように浮かんできて、
突然、道を間違えていたことに気づきパニックとなり、
初めて!心も息も苦しくなって・・・車の運転が出来なくなってしまい、
友達が助けに来てくれて、でもそれから私は朝方から震えたり自分の中にある、
癌が見つからずいたら?私は死んでいたのだと・・・恐怖心が取り憑き、
一時期は電車も、タクシーでさえ一人で乗れないこととなりました。
でもね・・・そこからの私の人生の再生が始まった!!
ミラクルが沢山〜起こるのです!!
それは、それは・・・不幸中の幸い幸いがあって
もうそれを書くと、幾つかの短編集になるし、ドラマにしても朝ドラではなく
昼ドラ?になるねと言われているので、ここまでにして本題へ・・・^^
再発に怯えて生きると溢れたた涙から、私がたどり着いた生き方!!
それは、60歳になって病気になって何でも後回しにしてきて後悔するより、
私は、これから毎日を後回しにせず後悔しないように生きていこう!
キラキラと思いきり人生を輝かせて生きるのだ!!
小さな頃から、後で食べようとプリンを冷蔵庫に取っておくと弟に食べられていたり。
苺のショートケーキの「苺」は最後に残して食べていたけれど・・・
一番食べたい苺から食べる!!
それこそが、私の新たな生き方。
人生を苺のショートケーキに例えて、したいことを後回しにするのではなく!
自分の好きなこと、やりたいこと、それを真っ先にすることは、「人生は苺のショートケーキ、美味しい苺から食べるような生き方をしてね・・・私が経験してきた多くのことから得た私のオススメの人生論」。
これが、私の苺のショートケーキ持論です。
私は、振り返っても40代を人の何倍も生きた様に色んなことに挑戦し、病気の治療中の5年間でも幾多の転職で社会科見学のチャンスだと思い
懸命に、生きてきました。容易い道のりではありません。
でも、いつも人に恵まれミラクルが沢山ある人生でありました。
その中の一つに、人生計画には全くなかったお花の世界から始まった、小さな自宅のお稽古サロン「Chandelier Felice」
美研究好きな私が考えていたのは当初「セレクトビューティCAFE」。
形は違いますが私のお稽古教室は「お稽古カフェ」なのかもしれません。
人生は苺のショートケーキ、好きなことから始めるような生き方をしてみてくださいね。
きっと貴方へ幸せを運んでくれると願っております。
By Chandelier Felice
Ayumi